こんちは!きち(@YOSHI_YANO)です。子どもには自由に生きてほしい。自分がやりたいと思ったことをやってほしいし、幸せになってほしい。
自由に生きていく力を身につけるために気をつけていることと書きましたが、まだ小さいので気をつけたいことですがw
過保護はやめる
子どもが歩いている道の前に、困難が転がっていたとします。長年の経験から親はそれに気づきました。でも子どもは気づいていません。どんどん進んでいきます。
ここでどういった行動をとるべきか?
親心としてはその困難を避けたいと思うこれは当然の真理だと思います。
でも果たしてそれは子どものためになるのでしょうか?子どもの目の前にある困難。
それをその時は取り除いてあげられるかもしれません。でも子どもが自立してきたとき、同じ困難に遭遇した場合、結局ぶつかってしまうと思うのです。
それは人は「経験からしか成長できないから」だと思っています。
あの時の苦労したから今がある。といった内容の言葉をテレビや自伝などで、よく目にしますが、あの時の経験があったからというのは実在すると思います。
経験でしか人は成長しないのです。
一方、親が目の前の困難を取り除いてあげて「これは危ないから気をつけてね!」といったとします。そして子どもは「分かった気をつける!」といったとします。これも経験?と思ってしまいますが、違います。これは知識です。
表面的に理解したに過ぎないのです。
もちろん、知識だけではダメだというわけではありませんが、 実際に自分自身でした経験とただの知識では理解の度合いがまるで違います。
それに親の考え方がすべて正しいというのも間違っていると思います。いくら長く生きたとはいえ、それが間違っていないとは言い切れません。
子どもの困難は子どもの課題
子どもの困難。それは言いかえると子どもの「人生の課題」。もっと分かりやすく言うと宿題です。
目の前に人生の宿題があってその答えを親は知っていたとしても、答えを教えてあげるわけにはいかないのです。
子どもの夏休みの宿題を親がするのは本末転倒。全くもって子どものためになりません。
そしてこの「子どものため」という言葉には親のエゴが入っているように思います。
子どものためと言いながら裏では自分の体裁を考えているのです。
自分の体裁とは、、、
- 子どもにひどいことをしていると思われるのが嫌
- 宿題をやらせてない親と言われるのが嫌
など。これは子どものためという言葉のお面をかぶって実は自分のためにやっている行動なのです。
〜しなければならない
この言葉にも少し違和感があります。
あなたは夏休みの宿題をしなければならない!
これは極端な話ですが、宿題をするかどうか決めるのは、子ども自身です。
宿題は子どもの課題。子どもが宿題をやるように促す (水飲み場までつれていく)ことはしても、宿題をやらせること(水を飲ませる)は
できないのです。
それは子どもの課題。
一見、無常なアンドロイドのような心を持った親だと非難されかねないですが、やるかどうか最終的に決めるのは子どもであるべきだと思います。
自分で考える力を身につけてほしい
先にも述べましたが、課題をやるかどうか決めるのは子どもだと思います。
子ども自身が自分で考えて、決めるべきなのです。
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さいごに
ここの文章まで多少荒々しい言葉で書いたので気分を悪くされた方がいたら申し訳ありません。
でもこれは僕自身が、子どもには伝えられないけど思っていることです。いわば子どもに向けた「渡さないラブレター」いつかそれを感じ取ってくれたら嬉しいなと思います。