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成功とは何なのか?人生はどこまでも続く平たんな道だと思ってる

突然ですが、人生は山登りなのかマラソンなのかと聞かれたらどちらだと思いますか?

どう違うのかというと、ピラミッド型か平たんかというだけの違いなのですが、どっちでしょう?

僕の考えとしては、後者のマラソンにあたるのですが、そうすれば妬みや僻み、争い事って減ると思うんです。そんな大げさなことでなくてもいいんですが、人生幸せに充実して生きるために自分が思っていることだったりします。

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成功して成り上がるという思想は正しいのか?

成功=昇りつめるというイメージが強く多くの方はそういう風に考えているかもしれないのですが、僕はこの考え方がどうもしっくりきません。

成功という大きな山があって、どの高さまで登れるかによって人の価値が決まるとも思えないし、ましてや他人と高さを競うものでもないよな。というのが感覚としてあります。じゃあ成長することもせずにただのんびり平凡に生きていたいのか。と聞かれるとそれとも違うなと思うのですが、自分の中での人生のイメージは冒頭で述べたように、マラソンのイメージです。

人生というマラソンに挑戦している

どこまでも続く平たんな道。足を前に踏み出すことをやめなければだれでも進める道。それがマラソンです。

昇りつめるというのと違う点は、スキルや知識なんて関係ないということです。

だってはってでも進もうと思えば進めますからね。でも努力というか、自分の足でしか進むことはできません。ゆっくり歩く人もいれば走っていく人もいる。たまに寄り道したり黙々と一定のスピードで進み続ける人もいる。

このマラソンという平等さが自分にはしっくりきます。

遠くまで進んでいる人が偉いとか、位が高いというのは全くなし。

自分の人生でどこまで歩みを進めたいか。それを決めるのは自分自身です。

「高さ」という単位が加わるだけでなぜか身分を想像してしまう

等級精度というかピラミッド構造というか、高いところにいる人は偉い人だ。と勝手に誤解してしまうことがあるでしょう。まあ、実際にそのイメージの中で人は生きているので現実もそうなのだと思うのですが、昇りつめるというといろいろな摩擦が生じてきます。例えば一緒に登っている人を蹴落とす人が出てきたりするかもしれません。

そういった行為の中からは争いしか生まれず、それに嫌気が指し登ることを辞めた人のことを勝手に「負け犬」と読んだりします。実際はその負け犬と呼ばれてしまった人にだって人生はあるし、それが消して不幸というわけではありません。

でも人生を昇りつめることこそが成功という”ものさし”の方にとってはそう写るのかもしれません。

どこまでも続く平たんな道を進むイメージに変えませんか

昇りつめるという考えをやめて、どこまでも平たんな道が続くイメージに変えると、少しは争いや妬み僻みがなくなるんじゃないかとそう思うんです。

目線の高さはだれもが同じで、生まれたばかりの赤ちゃんも、50代で会社の社長をしている人だって目線の高さは同じです。ただ歩んで来た距離が違うから経験という意味では違いがあります。

でもあくまでも目線の高さは同じ。

成功したとか、誰かより優っている、という感覚がなくなってしまえば世界は少しだけハッピーになるのにと。ほんとにそう思うんです。

なかなか言葉にするのが難しく、理解されない方もいるとは思うのですが。。。

あとがき

こういったことを何となくコレまで思っていたわけですが、そうそう。半年ほど前に読んだ本にそれと同じようなことが書いてありました。

別にこの本がいいよ〜おすすめ〜〜というわけではないですが、今日書いた内容に共感していただける方にはぜひ読んで頂きたいと思える本です。人それぞれの考え方があるし、感じ方もいろいろだとは思うけど。自分はこう思うよということも書いてみました。

たまにはこんな日があってもいいよね。うん。ではこの辺で!

シェアしてくれたらうれしー。
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矢野キチ
フリーランスのWEB屋です。このブログでは「自由に生きる」をテーマに生活の中で思ったことをザクザク書いていきます。身体的特徴としては目が細いので、ゴミがあまり目に入らないので人生得しています。

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