どうもヤノキチです。最近いろんな方とお話しして刺激をもらうのにハマっているんですが、自分が今どんな仕事をしているのかや、今後こんな感じの仕事(遊び)をしようと思ってる。で、こんな感じの収益モデルにしようと思ってるって話をすると大体決まって返ってくる答えが
「そんなので食べていけるの?」
という答えなんです。
これって、すごく大事なことだと思うんです。
なにそれ?意味わからん。。。みたいな仕事って悪くない
「なにそれ?理解不能。どうやって仕事になるの」みたいな疑問が生まれる仕事って、すごくチャンスだと思うんです。
なんかそれうまくいきそうだね。とかほとんどの人が言っちゃう仕事って、大体誰かがやってる仕事で、後からはじめてもなかなかうまくいかないんです。いつも意識しているんですが、「自分だけがだせる価値」って何なんだろう。
って思って日々過ごしています。
誰もができる仕事だったら、それってあまり価値がなくて、「この人だからできる仕事」ってのが、誤解なくいうと”旨味”があるんです。旨味があるっていうのは”やってておもしろい”という意味です。
その際に儲かるかどうかはあまり考えません。
おもしろい!と思えるかどうかが大事
純粋にファーストインプレッションでおもしろいと思えるかどうか。これが唯一の判断基準です。
また、一緒に仕事する人もそう。能力がすごいかどうかは二の次です。ここでも重要なのは「その人と仕事しておもしろいかどうか」という点につきると思っています。
もちろんそこに能力がついてきたら最強なわけですが、そんなものは面白い仕事を続けていたら勝手にトライアンドエラーを繰り返すので技術とか知識は勝手に身についてきます。
石の上にも3年は今の時代通用しない
重要なので何度もいいますが、「楽しいか楽しくないか」で仕事を決めるべきだと考えています。
よく古い言葉で「石の上にも3年」とかいいますが、アレの意味がわからない。そりゃ昔は大企業でエスカレーター式に給料も上がってよかったのかもしれません。
ですが、今は全く違います。石の上に3年もいたら、頭まで石のようになってしまって、新しいことを考える力がなくなってしまうでしょう。そもそも石の上にも3年って言葉って言い換えると「嫌でも頑張って続けよう」という言葉と同義ですよね。
と、ボクは解釈してしまうんですが、そもそも楽しいと思ってる仕事に時間的な感覚って生まれないと思うんです。
吐き気を感じながら頑張って3年続けたって人と、楽しく仕事してたら気づいたら3年たってたって人とだったら成長速度が全く違うと思うでしょう。
環境をかえることも立派な進歩
で、ちょっと話が戻りますが新しいことを考える力というのは、環境を変えるということにも直結しています。
環境を一気に変えることが今の状況から抜け出す手段じゃないかってうすうす気づいていても、3年も嫌なことを続けていたら思考停止して、いざ本当に環境を変えたくなったときに、心が勝手にブレーキをかけることになってしまうんです。
で、そのまま続けていって最終的にうつになっちゃうみたいな。
悲しいですよね。
それって後から考えたときに「幸せだったか?」と聞かれたときに、胸をはって幸せだったといえなくなっちゃうと思うんですよ。
自分の人生なのに、不思議ですね。どれだけマゾなのか。
苦しくなったら逃げればいい。もしも次の環境が最高だったら思います。「なんであんなところにしがみついていたんだろう。。。もっと早く環境を変えればよかった。」ってね。
次の環境がダメでも「環境を変えること」に慣れておくのはとても重要です。
親とか周りの目が気になるって気持ちもわからなくはないですが、それって自分の人生を生きてないってことです。後から公開するのは自分かもしれません。周りのせいにしてもなにも解決しないでしょう。
思考停止病なんだろうな
上で書いた内容って「みんなそうしてるから」とか、くだらない理由だったりしませんか。
これも思考停止状態です。思考停止病。重症です。
なんでそうなるかというと、「大多数が思考停止病だから」気づかないんです。
普通ってなんだろうと考えた時、一般的に言う「普通」って、ただの多数意見でしかない。
仮に今まで普通じゃなかったものが流行れば今度はそれが「普通」になる。一昔前まではそれが普通じゃなかったのにね。
だから今見える普通を追い求めて消耗するのは「無駄でしかない」
— 香川のWEB屋 – 矢野キチ (@YOSHI_YANO) July 14, 2016
良くも悪くも今の世の中は多数意見できまります。1票でも多いほうが正しいとか普通だとか思われています。
でも、実際には上で書いた思考停止病は大多数の人がかかってしまっているのに。それは「みんなと同じだから普通」という価値観になるんです。これって変じゃない?
「普通がいい」という価値観を否定しているわけではないです。ただ、今の会社で苦しい立場にあったりする人は、その「普通をもとめて環境を変える」という、少数派の考え方が必要だと思うんです。
ただ、ここで矛盾しますが、少数派になると俗にいう「みんなと同じ(普通)」じゃなくなってしまうんですが。。。
新の普通を求めるならば、みんなと同じ考え方では手に入れられないというジレンマがあるわけです。
難しいですか?そんなことないでしょ。常識の逆をいけばいいだけです。
ここまで理解できたら行動するだけ
このことに気づけば、あとは行動するのみ。というかこの事を理解して腑に落ちれば勝手に体が行動するようになるんですよ。すぐ行動するのが普通みたいな。
で、みんなと違うことをすれば色々攻撃されたり嫌な目にあいそうじゃん…とか思っちゃうと思います。
確かにそれは正解。
ただ、ここでもうひとつ大切にしておきたいのが「人の嫌がることはするな」という点。みんなと同じことをするな。とは言いますが、それが人の嫌がることだったら問答無用でダメでしょう。
そんなことしてもビジネスにならないのは明白。
ポイントは「人に喜ばれることを人と違う目線でやろう」
ただそれだけのことだと思うのです。
あとがき
なんだか途中からビジネス論みたいな感じになってしまいましたが、ほんとに自分はそう思うんです。
ポイントは
- みんなと同じだから安心というわけではない
- むしろ同じだから個性を感じられないし自分の価値も感じられない
最後にひとつだけ。何か価値を提供したいと思った時に全員に好かれることは不可能です。好きだという人もいれば嫌いだという人もいる。Appleだってこれだけ普及しているように感じますが、アンチApple!という人もいるのです。
それは置かれた環境や考え方でそういった判断をしているわけであって、どちらが良くてどちらが悪いという話ではないでしょう。
だから重要なのは「自分の頭で考えて挑戦してみる」「ちょっと勇気をだして環境を変えてみる」ということなんじゃないかと思うのです。
ひとりごと終わり。
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